剱岳 点の記 (2)
行ってきました。映画「剱岳 点の記」を見に。ブログを見るとかなり辛い点数を付けている方も見受けられますが、本を先に読んで映画を見るとどうしても原作の本の方が緻密で描写が細かい分、短い時間で表現する映画の方が見劣りするかも知れません。幸い(?)私はまだ原作を読んでいないので画面に見入りました。所々現実的でない感じも受けましたが、演者もスタッフも大変な撮影であったと思われます。滅多に映画館に行くことがないので迫力があり感動しました。後で泣いていたのは私だけだと家内に言われ、みんなは何で涙が出ないのか不思議でした。最後の手旗信号の所では顔中涙になり、声が出ないように苦労しました。私が単純なんでしょう。
そして帰って来てから色々調べました(順序が逆でしたが)。主人公の柴崎芳太郎が選点した三角点を国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」で調べようとしましたが、剣岳周辺でここに出てくる「点の記図」は数少なく、柴崎芳太郎氏の名前が出てくるのは、「選点」で6ヶ所、その内「設置」が5ヶ所です。剱岳は登頂が険しく、残念ながら明治40年の時には三角点の標石を持って上がることが出来ず、三角点の設置が出来ませんでした。そのため四等三角点とし、平成16年に三角点を設置し再測定をして三等三角点の標高を2997.07m(6月24日のブログ・基準点詳細を参照)となった。しかし剱岳の最高点標高は祠の西側で2999mです。三角点は祠から東へ11.6mの所です。ちなみに映画では役所広司が演じている柴崎芳太郎氏の先輩・古田盛作氏は蓮華岳の【選点・明治35年5月14日・古田盛作】と出てきます。
剱岳からはずいぶん離れた所ですが右上は立山から来るアルペンルートの終点・扇沢です。
○は三等三角点で、赤色が蓮華岳。黒丸は三等三角点ですが点の記図がなく詳細が分かりません。詳しくは他の方法で調べるしかないです。ここではあくまで点の記図から調べています。

大きな赤丸は剣岳です。東の方向に三等三角点があり山名は不明、【点名・西千人】【設置・明治40年7月4日・柴崎芳太郎】となっています。黒二重丸は二等三角点で山名不明、【点名・大窓】ですが、詳細不明です。

剣岳の南方に剱御前が三等三角点であります。【点名・別山】【設置・明治40年7月10日・柴崎芳太郎】と書いてあります。また観測は平成16年8月25日となっており、再測量されたのでしょうか。

剣岳西方早月尾根ルートの登山基地・馬場島周辺です。左上が山名不明【点名・出の禿(でのはげ)】【設置・明治40年7月16日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年9月24日・柴崎芳太郎】となっており、以降測量はないようです。
左下は大熊山【点名・大熊山】【設置・明治40年7月15日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年10月11日・柴崎芳太郎】です。
中央の三等三角点は中山【点名・中山】【設置・明治40年6月27日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年10月4日・柴崎芳太郎】となっており、選点は全て柴崎芳太郎氏である。
これらはどれも観測者が柴崎芳太郎氏で終わっていてそれ以降の観測がされていないようで、映画にある明治40年5月から7月に選点・設置が行われ、9月から10月に再度観測されたようです。

映画の中で猛吹雪に遭い来た時の足跡も見失い九死に一生を得たところが地図の一番下の五色ヶ原です。一番上の赤三重丸は一等三角点雄山【点名・立山】【選点・明治27年8月8日・館 潔彦】となっており、かなり早い時期に調査に入ったようです。

と、映画を見た後こんな事を調べているとどんどん時間ばかりが過ぎてしまいました。点の記を確認出来ないところが多く残念でしたが、調べることが広がり過ぎて収拾がつかなくなってきました。
基準点の用語などが分からない時はここの「基準点関連用語」を見るとよく分かります。
そして帰って来てから色々調べました(順序が逆でしたが)。主人公の柴崎芳太郎が選点した三角点を国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」で調べようとしましたが、剣岳周辺でここに出てくる「点の記図」は数少なく、柴崎芳太郎氏の名前が出てくるのは、「選点」で6ヶ所、その内「設置」が5ヶ所です。剱岳は登頂が険しく、残念ながら明治40年の時には三角点の標石を持って上がることが出来ず、三角点の設置が出来ませんでした。そのため四等三角点とし、平成16年に三角点を設置し再測定をして三等三角点の標高を2997.07m(6月24日のブログ・基準点詳細を参照)となった。しかし剱岳の最高点標高は祠の西側で2999mです。三角点は祠から東へ11.6mの所です。ちなみに映画では役所広司が演じている柴崎芳太郎氏の先輩・古田盛作氏は蓮華岳の【選点・明治35年5月14日・古田盛作】と出てきます。
剱岳からはずいぶん離れた所ですが右上は立山から来るアルペンルートの終点・扇沢です。
○は三等三角点で、赤色が蓮華岳。黒丸は三等三角点ですが点の記図がなく詳細が分かりません。詳しくは他の方法で調べるしかないです。ここではあくまで点の記図から調べています。

大きな赤丸は剣岳です。東の方向に三等三角点があり山名は不明、【点名・西千人】【設置・明治40年7月4日・柴崎芳太郎】となっています。黒二重丸は二等三角点で山名不明、【点名・大窓】ですが、詳細不明です。

剣岳の南方に剱御前が三等三角点であります。【点名・別山】【設置・明治40年7月10日・柴崎芳太郎】と書いてあります。また観測は平成16年8月25日となっており、再測量されたのでしょうか。

剣岳西方早月尾根ルートの登山基地・馬場島周辺です。左上が山名不明【点名・出の禿(でのはげ)】【設置・明治40年7月16日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年9月24日・柴崎芳太郎】となっており、以降測量はないようです。
左下は大熊山【点名・大熊山】【設置・明治40年7月15日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年10月11日・柴崎芳太郎】です。
中央の三等三角点は中山【点名・中山】【設置・明治40年6月27日・柴崎芳太郎】【観測・明治40年10月4日・柴崎芳太郎】となっており、選点は全て柴崎芳太郎氏である。
これらはどれも観測者が柴崎芳太郎氏で終わっていてそれ以降の観測がされていないようで、映画にある明治40年5月から7月に選点・設置が行われ、9月から10月に再度観測されたようです。

映画の中で猛吹雪に遭い来た時の足跡も見失い九死に一生を得たところが地図の一番下の五色ヶ原です。一番上の赤三重丸は一等三角点雄山【点名・立山】【選点・明治27年8月8日・館 潔彦】となっており、かなり早い時期に調査に入ったようです。

と、映画を見た後こんな事を調べているとどんどん時間ばかりが過ぎてしまいました。点の記を確認出来ないところが多く残念でしたが、調べることが広がり過ぎて収拾がつかなくなってきました。
基準点の用語などが分からない時はここの「基準点関連用語」を見るとよく分かります。
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剱岳 点の記
この20日から全国ロードショーの始まった「剱岳 点の記」が大変人気があるようです。私も父が残して逝った新田次郎の全集の中にある本をまだ読んでいませんが、世間が騒がしくなると、「ん!!」と興味が湧いてきます。映画は見に行きたいと思っています。

この写真は日付が1986年8月となっていますので、23年前の40才の時に剱に家内と2人で登った時の物です。途中道連れになったおじさんが写してくれた物です。いつも2人で行くため私の写真はほとんど無くこれは貴重な物です。



私は冬山は怖くて行けませんが、夏でもこれですから雪の剱は大変だろうと身が震えるおもいです。この時一緒になったおじさんに感謝です。これを書いていると家内が何枚もこの時の写真を持ってきてくれたのでスキャンしました。古いので汚れていますが…。

ここは今でも覚えていますが、この先で一ヶ所オーバーハングした岩を下りるのですが、自分の足下が見えず、岩に穿たれた浅い穴につま先をかけて下ります。しかしその長さが長いため家内などは足が届かず私が先に下りて下から家内の足を支えて下りた次第で、私達の後の女性は泣いていたと家内から聞きました。手前のロープを持った人達はロッククライミングに来た人達で普通に飛ぶように下りて行きました。そんな訳でここは大渋滞です。
それにしても懐かしいです。この頃は何処の山も夏は渋滞するほどの人でしたが、最近は平日に行くことが多く、又低山に行くようになって山で会う人がぐっと少なくなりました。当時の夜行電車は登山客が一杯だったように覚えています。
さて話が変な方へ飛びましたが私のHPの「山の記録」でいつも勝手にリンクしている国土地理院のHPから「基準点成果等閲覧サービス」のページを開くと三角点の標石の写真の間に 【基準点検索入口】 と書かれたリンクがあり、クリックすると「基準点成果等閲覧サービスご利用上の注意事項」が開き下に同意する,しないのボタンがあります。ここは当然同意する方を選んで検索画面に入ります。左に「メインメニュー」中央に日本地図が現れます。検索はこの地図と「基準点コード」、「市区町村」、「配点図」から自分の使いやすい方法で検索します。三角点の「点名」と山の名前とは必ずしも一致しませんので、探す場合注意が必要です。
例えばこの剱岳の部分は下のようになっています。

剱岳の三角点のマークを見ると大きな一重○ですから右の表から三等三角点と分かります。そしてその○をクリックすると三角点の詳細が表示されます。私はいつもこれを見てHPのデータを書いています。

これを見ると「点名」、「経緯度」、「標高」等詳しく知ることが出来ます。
剱岳の標高は過去3度測定されたようですが、現在は2004年(平成16年)の再測量で2999mになったと聞いていますが、ここでは2997mになっており不思議に思っています。

これが「点の記」です。
この部分はユーザー登録をしないと見ることが出来ないため、一応ほとんどを目隠しとしました。興味のある方は登録して見に行って下さい。前ーに見た時は何処も手書きのものが多かったように思っていましたが久しぶりに見たら綺麗にワープロで作られていました。画像をクリックして大きくすると「選点」の欄に「明治40年7月13日」「選点者 柴崎 芳太郎」の名前があります。長くなりましたがここでやっと一番最初に書いた映画につながりました。この「点の記」に映画の主人公・柴崎芳太郎氏の名前があることを書きたかったのです。
この一行の裏にはとんでもない苦労と危険があったことでしょう。それを再現された俳優やスタッフの苦労も並大抵のことではなかったかと想像されます。
こんな小さな事もちょこっと想いながら、映画を見に行きたいと思っています。

この写真は日付が1986年8月となっていますので、23年前の40才の時に剱に家内と2人で登った時の物です。途中道連れになったおじさんが写してくれた物です。いつも2人で行くため私の写真はほとんど無くこれは貴重な物です。



私は冬山は怖くて行けませんが、夏でもこれですから雪の剱は大変だろうと身が震えるおもいです。この時一緒になったおじさんに感謝です。これを書いていると家内が何枚もこの時の写真を持ってきてくれたのでスキャンしました。古いので汚れていますが…。

ここは今でも覚えていますが、この先で一ヶ所オーバーハングした岩を下りるのですが、自分の足下が見えず、岩に穿たれた浅い穴につま先をかけて下ります。しかしその長さが長いため家内などは足が届かず私が先に下りて下から家内の足を支えて下りた次第で、私達の後の女性は泣いていたと家内から聞きました。手前のロープを持った人達はロッククライミングに来た人達で普通に飛ぶように下りて行きました。そんな訳でここは大渋滞です。
それにしても懐かしいです。この頃は何処の山も夏は渋滞するほどの人でしたが、最近は平日に行くことが多く、又低山に行くようになって山で会う人がぐっと少なくなりました。当時の夜行電車は登山客が一杯だったように覚えています。
さて話が変な方へ飛びましたが私のHPの「山の記録」でいつも勝手にリンクしている国土地理院のHPから「基準点成果等閲覧サービス」のページを開くと三角点の標石の写真の間に 【基準点検索入口】 と書かれたリンクがあり、クリックすると「基準点成果等閲覧サービスご利用上の注意事項」が開き下に同意する,しないのボタンがあります。ここは当然同意する方を選んで検索画面に入ります。左に「メインメニュー」中央に日本地図が現れます。検索はこの地図と「基準点コード」、「市区町村」、「配点図」から自分の使いやすい方法で検索します。三角点の「点名」と山の名前とは必ずしも一致しませんので、探す場合注意が必要です。
例えばこの剱岳の部分は下のようになっています。

剱岳の三角点のマークを見ると大きな一重○ですから右の表から三等三角点と分かります。そしてその○をクリックすると三角点の詳細が表示されます。私はいつもこれを見てHPのデータを書いています。

これを見ると「点名」、「経緯度」、「標高」等詳しく知ることが出来ます。
剱岳の標高は過去3度測定されたようですが、現在は2004年(平成16年)の再測量で2999mになったと聞いていますが、ここでは2997mになっており不思議に思っています。

これが「点の記」です。
この部分はユーザー登録をしないと見ることが出来ないため、一応ほとんどを目隠しとしました。興味のある方は登録して見に行って下さい。前ーに見た時は何処も手書きのものが多かったように思っていましたが久しぶりに見たら綺麗にワープロで作られていました。画像をクリックして大きくすると「選点」の欄に「明治40年7月13日」「選点者 柴崎 芳太郎」の名前があります。長くなりましたがここでやっと一番最初に書いた映画につながりました。この「点の記」に映画の主人公・柴崎芳太郎氏の名前があることを書きたかったのです。
この一行の裏にはとんでもない苦労と危険があったことでしょう。それを再現された俳優やスタッフの苦労も並大抵のことではなかったかと想像されます。
こんな小さな事もちょこっと想いながら、映画を見に行きたいと思っています。
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iPhone OS 3.0 (2)
先ほど書いた機能追加の中でもう一件重要なことを忘れていました。私が今までメインで使っていたau携帯で使っていたBluetoothのヘッドセットが今回のバージョンアップで使えるようになりました。片耳用の電話で使うものは簡単に使えたのですが、ステレオのものは使えませんでした。これが使えるようになったので良かったかな。テストでは今度搭載された「ボイスメモ」で録音した後の再生もBluetoothのステレオヘッドセットで聞くことが出来ました。
又思い出したものがあれば書いていきます。
又思い出したものがあれば書いていきます。
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iPhone OS 3.0
iPhoneのOSのアップデートが6月18日という事でメールも入っていたので楽しみにしていました。ひょっとして午前0時からアップデートできるかと思って試しましたが、”残念ながら”でした。
朝起きて8時半過ぎにもうできるかなと思って再度試すと、一発で OS 3.0 にアップデート出来、かえって驚きました。みんなが集中して何回もチャレンジかなと考えていたので、拍子抜けでした。
もう既にネットなんかでは画面のキャプチャーなんかで説明しているブログもあって細かいところはそちらを参考にするとして、
1. 一番良かったところは、コピー、ペーストをアプリをまたがって出来ることでした。例えば長いURLなんかを直接入力していて何回も間違えることがありましたが、この機能のおかげでSafariのアドレス欄からコピーしてメモに貼り付けることも簡単になり、大変有り難いです。
2. 携帯メールのMMSが使えるようになってこれは凄いことらしいのですが、何が凄いのかよく分かりません。今までのeメールで特に不便を感じなかったのですが。しかし一応MMSのメールアドレスは分かりやすいものに変更して使えるようにしておきました。
3. Wi-Fi の接続が強化され一度つながったところへは次回から自動で簡単につながるので、今まで使っていた115円で購入したアプリは外しました。
4. 設定の中の項目が増えて詳細な設定が出来るようになったように思います。
5. ボイスメモアプリが標準で付いてきたので、とりあえずストアーで買ったアプリは外しました。
6. Spotlight検索機能はまだそれほど中に細かいものが入っていないので、使うことはありません。
とりあえず私にとって気になったものは今のところこんなもんですかね。使っている内に「あっ!」と思うような発見もあるかも知れません。
こんどのOS3.0とは関係がありませんが、電話の着信がしょぼくて、着うたにしたかったのですがAPPストアーから買った曲でないとダメなように書いてあったのであきらめていましたが、自分の好きな曲を着信に使える方法を知ってやってみると意外に簡単に作れたので昨日から使っています。今まではいつ電話がかかってきたのか分からなかったので不便でした。
朝起きて8時半過ぎにもうできるかなと思って再度試すと、一発で OS 3.0 にアップデート出来、かえって驚きました。みんなが集中して何回もチャレンジかなと考えていたので、拍子抜けでした。
もう既にネットなんかでは画面のキャプチャーなんかで説明しているブログもあって細かいところはそちらを参考にするとして、
1. 一番良かったところは、コピー、ペーストをアプリをまたがって出来ることでした。例えば長いURLなんかを直接入力していて何回も間違えることがありましたが、この機能のおかげでSafariのアドレス欄からコピーしてメモに貼り付けることも簡単になり、大変有り難いです。
2. 携帯メールのMMSが使えるようになってこれは凄いことらしいのですが、何が凄いのかよく分かりません。今までのeメールで特に不便を感じなかったのですが。しかし一応MMSのメールアドレスは分かりやすいものに変更して使えるようにしておきました。
3. Wi-Fi の接続が強化され一度つながったところへは次回から自動で簡単につながるので、今まで使っていた115円で購入したアプリは外しました。
4. 設定の中の項目が増えて詳細な設定が出来るようになったように思います。
5. ボイスメモアプリが標準で付いてきたので、とりあえずストアーで買ったアプリは外しました。
6. Spotlight検索機能はまだそれほど中に細かいものが入っていないので、使うことはありません。
とりあえず私にとって気になったものは今のところこんなもんですかね。使っている内に「あっ!」と思うような発見もあるかも知れません。
こんどのOS3.0とは関係がありませんが、電話の着信がしょぼくて、着うたにしたかったのですがAPPストアーから買った曲でないとダメなように書いてあったのであきらめていましたが、自分の好きな曲を着信に使える方法を知ってやってみると意外に簡単に作れたので昨日から使っています。今まではいつ電話がかかってきたのか分からなかったので不便でした。
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津軽半島から奥入瀬渓流
先週木曜日(6月4日)の昼から出発した秋田旅行は月曜日(6月8日)の夜帰着して終わりました。4日半走り続けて疲れました。京滋バイパス巨椋ICから青森ICまで、木曜日16時頃から土曜日朝5時40分頃まで高速上で2晩寝ましたが、1,350円でした。青森ICに一番近いSAでは早くから県外車が停車して寝ていました。一番遠いところでは宮崎ナンバーがありました。6日土曜日はICを6時前に出て一路津軽半島へ向かい下の地図にあるところを走りました。残念ながら一日中小雨交じりで、竜飛崎では雨と風がひどくて車から降りずに灯台を見て次へ進みました。

赤い線の部分が走ったところです。これでは非常に見にくいのでクリックしてもう少し大きい画像で見て下さい。土曜日に行ったところの大部分です。泊まりはJR弘前駅前でしたのでこの地図のもう少し下になります。そして翌日曜日は小学校で習ったヒメマスの養殖の奥入瀬渓流を目当てに途中「碇ヶ関関所」跡を探して走りました。下の通りです。

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)、数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平20業使、第148号)」
2日目の日曜日は雨も降らずホッとして出かけました。碇ヶ関関所跡は現在何もなく、それを知らずに同じ所をずいぶん探し回りましたが、近くにいたおばさんに聞くと、人形などを置いて関所の形を再現していたものはよそへ(ここより北の「道の駅 関の庄へ)移転したと言うことでした。奥入瀬渓流は家内が楽しみにしていたところで、新緑の中を所々に車を置いては歩いて見て回りました。また歌手の山本譲二が「奥入瀬」という歌を出した記念に歌碑を建てたと聞いたので、探して見てきました。家内が山本譲二のファンなので。
これらは又暇を見て詳しく書きたいと思います。

赤い線の部分が走ったところです。これでは非常に見にくいのでクリックしてもう少し大きい画像で見て下さい。土曜日に行ったところの大部分です。泊まりはJR弘前駅前でしたのでこの地図のもう少し下になります。そして翌日曜日は小学校で習ったヒメマスの養殖の奥入瀬渓流を目当てに途中「碇ヶ関関所」跡を探して走りました。下の通りです。

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)、数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平20業使、第148号)」
2日目の日曜日は雨も降らずホッとして出かけました。碇ヶ関関所跡は現在何もなく、それを知らずに同じ所をずいぶん探し回りましたが、近くにいたおばさんに聞くと、人形などを置いて関所の形を再現していたものはよそへ(ここより北の「道の駅 関の庄へ)移転したと言うことでした。奥入瀬渓流は家内が楽しみにしていたところで、新緑の中を所々に車を置いては歩いて見て回りました。また歌手の山本譲二が「奥入瀬」という歌を出した記念に歌碑を建てたと聞いたので、探して見てきました。家内が山本譲二のファンなので。
これらは又暇を見て詳しく書きたいと思います。
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